Happiness arises, radiating in vibrant hues.

『幸せが生まれ、鮮やかな色合いで輝く』ことを願う場所

雑記

劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~を観ました。
http://www.anime-eupho.com/
とは言ってもこれを感想記事にする気は皆無というか、これを感想と書くと怒る人がいる内容、つまりは自分語りになると思うので最初に書いておきます。

改めて言うと感想記事ではないよ。
でも、せっかくなので書くと下記となりますので、ご確認願います。

リズと青い鳥がユーフォの物語の一部であることを感じられる場面、特にリズと青い鳥の演奏時に希美がみぞれを支えるような演奏をしていたのがとてもグッと来ました。
上映してる間にたぶんあと何回か観に行くと思います。たぶん行くはず……。

以上よろしくおねがいいたします。

基本よかった作品は複数回観に行くんですが、今回ちょっと躊躇してしまうのは内容があまりに社会過ぎて、見ていてちょっと、大げさに言うとかなりつらかったためです。(社会=人間関係的なアレと捉えてください。わたし語みたいなものです)

途中観ていて(本当に人間てめんどくさいな……)という気分になってしまい、観ている最中に完全に目が死んでいる瞬間があった気がします。
社会がめんどくさい。けど社会の中でどうしても人間は生きていかないといけないというジレンマがずっとあって、そこがたぶん私のメンタル不調の根本原因なんだと思います。

まだ語っていない好きな作品の中に【桃色シンドローム】という作品があります。最終巻出たのが2010年なので、もう古めの作品になってしまいますね。時間の流れは本当に早い。
この作品の主人公であるスミヤは引きこもり性質ののえろげオタクです。(まるで私みたいだ)
1~3巻までは少ない登場人物と毎日楽しそうに過ごしていますが、4巻中盤辺りから少しその日々に陰りが見え始めます。そして最終巻となる5巻でスミヤの根幹にあるもの。それが【折り合いがつけられない】というものであることが描かれます。

折り合い、つけられてると思ってたんですが、フィクション作品のようにどストレートかつ客観的に社会のめんどくささを見せられると、やっぱりまだ駄目みたいです。

物語の中でスミヤはバグ技のようなものを使って、誰からも、何物からも圧力のない世界に逃避します。
そして、一人になれて幸せだと感じますが、すぐに虚しさを覚えてしまいます。
その理由についてモノローグでこう語っています。

まるで一人では決して手に入れられないものを受け取るための儀式みたいだ。

人との繋がりの中でしか生まれ得ないもの。それを、そんなにも凄いものを誰かから貰えるかもしれない、という希望。可能性だ。

俺も誰かにこんなにも凄いものをあげられるかもしれないんだ。――人はこんなにも凄い。

――うん。虚しいよ。ここはとっても虚しい。救われてて、幸せで、苦しくなくて
…でも可能性も無くなっちゃうから。
――やっぱり虚しいよ

 
そう。可能性がないのです。一人でいる際に起こることは、すべて自分の中にある限られたリソースからしか生み出すことができません。なぜなら自分の中に生まれる発想やひらめきというものは、自分が過去に得た経験や何らかのものから得たインプットによるものとなるからです。私はそう考えています(わかりやすく逃げた

この点の折り合いが私の中でまだつけられていないようです。
頭の中にあるものをほぼまんま書くと
「いや、わかってるんだよ? 自分だけでできることなんてたかが知れてるし、基本的にいいことなんて無いって。でもさ、人間と関わるのめんどくさくない? 基本的に仕事をしていてめんどくさいと感じることって、人間との調整的なこと考えてる時じゃん。」云々

この作品のあとがきで作者による4ページに渡ってこの作品に込めた想いが書かれています。このあとがきの文章が大変好きなのですべて引用したいのですが、それはさすがにアレなので最後の方だけ引用します。

時々、想像力という物が、僕らの日々を辛くすることがあります。これをやって悪い結果になったらどうしよう。この人は笑ってくれてるけど、本当は怒ってたらどうしよう。誰もが皆、自分の事を嫌っていたらどうしよう。
……自分が、本当は幸せなんかじゃ無かったら、どうしよう。

不安は無くなりません。……じゃあどうやって生きていけば良いのでしょうか。
全部を無くしてしまうのは、やっぱり無理な事で、どうにかして折り合いをつけていくしか無いんだと思います。

この漫画の中に、辛いことに立ち向かう勇気は、決して詰まっていません。だからもし、どうしても折り合いを付けられなくて、不安で不安で仕方なくて、逃げ出したいと思った時は、別に逃げても良いと思うのです。

ただそんな時、バカな少年と弱すぎる三人の女の子が、それでも楽しそうに笑ってた事を思い出して貰えたら、僕は幸せになれると思います。

 
たぶん、この先もずっと折り合いはつけられないんだと思います。
それでも、桃色シンドロームの登場人物のように楽しそうに、それこそ『楽しそうにしてるっぽく』見えたとしても、笑って生きていくことができれば。
そんなことを今感じています。

ね。感想と言ったら怒られるものになったでしょう?