Happiness arises, radiating in vibrant hues.

『幸せが生まれ、鮮やかな色合いで輝く』ことを願う場所

終ノ空remake感想

すば日々10thが発売されました。
すば日々発売して10年経つんですね……。早い……。
正直10th買おうかどうか悩んでたんですよね。
FVHD買ったし、特典になってるナグルファルとかのCDとかサントラ持ってるし。
3大電波ゲーの鼎談もそこまで興味あるわけではなかったので、全ては終ノ空remakeのためだけに2万近く払う感じになるので。
これで、その後DL販売されたらホントにもう泣くしかない。(冊子読んだ感じ現時点では単独販売の予定まったくないらしいので、ここは本当に安心しました)
結果、買ってよかったと思えるものにはなっていたのでよかったです。
個人的にはすば日々よりも好きかもしれないです。

それでは各視点(主体者)ごとの感想です。

 

■主体者:水上行人
全ルートの基礎となる部分が書かれます。
なので、7/17の夜に彩名が
「全裸ふりちん……露出……オナニー」
と唐突に語る意味もそのあとに続く話の意味もプレイ後にわかります。
嘘つきました。意味はわからんです。でもわかります。

今回の音無彩名、なんかかわいいんですよね。
すば日々での不思議(不気味)なところはありはするんですが、感じ的には世間知らずの極致レベルをもった不思議キャラの枠に収まってる気します。
基本的に上位次元存在として、各キャラを観測してるポジションではあるんですが、完全に理解できない存在という描き方はされていなくて、頑張れば理解したつもりにはなれるというか。
ガンギマリ目が若干マイルドになってたり、キャラデザがのせいか不気味な笑みがあんまそう見えなかったりといった点も大いにありそう。

記憶力がホントにだめで申し訳ないんですが、すば日々と終ノ空remakeでは卓司の演説に対する内容の反応が違う気がしてます。
すば日々で『間宮(卓司)が言うことは正しい』といった趣旨のテキストってあったっけ……。
由岐が論破してるイメージが凄い強いので、たぶん肯定する趣旨のテキストはなかった気します。(あったらごめん以外に言うこと台詞がない)
こういった感じで、終ノ空remakeってたぶんすば日々よりも意見/思考の明確な対立がなかったです。
これは間宮卓司視点ではっきりと感じられる部分なので、その時にまた。

水上行人視点ですごく好きなシーンがあります。
彩名と行人が終ノ空が見える意味について語るシーンです。
長いですが好きなので引っ張ります。

「意味なんてない。いかなるものが、あるがままにしか存在しない。
 あるがままに有るものに意味を与える必要なんてない。
 ゆきとくんが、それを見たときに、それに意味を与えるのはゆきとくんでしかない……」
 
「そうか……。

 俺に、もし、そんなものが見えたら……。
 俺はそれに対して何を思うんだろう」
 
「生まれたての赤子の夢にゆきとくんが意味を与えた様に、またあなたはそれに対しても何かしらの意味を与えるかもしれない。
 人は因果の世界を作る……。
 原因と結果、その様な糸で世界を結ぶ……。
 そして意味を与える。
 それが、どんなものであったとしても、やはり意味を与える。
 語りえぬものだとしても……人は語ろうとする。
 そして、その言葉の先で行き詰まる」
 
「語れないものを語ろうとした先、言葉につまるのか……。
 どうしようもないな」
 
「でも、ゆきとくんは、その生まれたての赤子を祝福した。
 行き詰まった言葉の先でも、ちゃんと祝福を与えられた。
 祝福は必ずしも言葉ではない。
 沈黙という祝福もある。
 いいえ、むしろ多くの言葉の先に沈黙がある。
 すべてのものが解決した時こそ、生の本当の問題は始まる。
 解決されるべき事象は、すべて明晰に解決されればいい。
 戸惑う必要なんてない。
 語られた先で、見つめればいい」

この前のシーンで彩名が行人に「すき」と言っているんですが、

それを裏付けるかのような優しい言葉。
なんならもっと明確に「行人が読んでたたからカント読んでみた」とモロな好意も言ってるんですが、
個人的にはこういうフォローのような気遣いのような言葉が沁みました。

■主体者:若槻琴美
基本的には水上行人視点と変わりません。
方舟に連れ込まれたときに何が起こっていたかわかるくらいでしょうか。
あと高島ざくろとの関係がちょっと。
こう考えると水上行人視点だと高島ざくろって名前しか出てこないんですね……。

この視点で語るところと言えば、やっぱ琴美の強さについてになるのかなと思います。
たぶん人間としての強さだったら一番な気します。単純な強さなら田荘組の組長なんでしょうけど。

「ずっと耐えている人見てたからさ。
 だから、何かに耐えて頑張ってた人の事はなんとなくわかっちゃうんだよ」

そう語りながらやす子とセックスを続ける琴美。
なんというか聖母かのようなすべてを許す姿勢。

やす子がどういう想いで、ここまでやっているかは横山やす子視点で語られますが、
琴美のやす子への想いはここでしか語られないものになります。
どんだけ犯られても「恨めそうもない」と語る琴美は強いですね。
いいセックスでした。

■主体者:高島ざくろ
開幕ガンギマリセックスでした。
立ち絵だとあんま似てなかったですが、屋上でのアナルセックスのCGはすば日々ざくろとなんか似てましたね。
個人的にすば日々ざくろはBADきつ過ぎてスキップしまくってたので、終ノ空remakeの方が高島ざくろのシナリオとしては
好き、ではないけど良いかなという感じです。

宇佐美と亜由美にとっては、急になんかよくわからない台詞を朗々と語り出すざくろと単に狂ってるざくろ、どっちの方が怖さとしてはまだマシだったんでしょうね。

亜由美の過去シーンは普通のレイプシーンとなってましたが、そう考えると何の脈絡もなく獣姦突っ込んできたすば日々版亜由美のあのシーン何だったんですかね……。趣味なのかな……。
凌辱ゲーやらないのもあるけど、獣姦シーン見たのは後にも先にもすば日々だけな気がします。

メンヘラが前世キャラで仲良くやっていたら、やべぇ異常者が入ってきて結果道連れで死んでしまうという、メンヘラもガチの異常者には敵わないという示唆に富んだシナリオはブレないですね。
ものすごい適当を言いました。

7/10に音無彩名が高島ざくろの頭痛を心配する場面があります
終ノ空内だと7/10って特に音無彩名が干渉するようなこと起きてないんですよね。
じゃあ、すば日々だと何が起きてるかというと、BADだと完全にざくろが壊れて神が降臨した日なんですよね。
城山が落ちて死ぬ前に確かに一瞬終ノ空ざくろに見えます。
たぶんこれが音無彩名の言う干渉だったんでしょう。

ざくろの声はちょっとすば日々ざくろが強すぎましたね。
あの声の揺らぎのはホントに凄かった……。
あと「モン・パナッシュ!」の掛け声もきっかけとしてはよかったので、
トータルとしてはいじめ描写が強すぎたので終ノ空remakeの方がいいかなという感じだけど、シナリオとしてはやっぱすば日々の方が面白みはあるのかな。

■主体者:横山やす子
終ノ空remakeは純愛。
そんな言葉も通じそうなほど純愛でした。
出だしの過去話のエグさも凄いので、落差というか上昇率がすごい。
上昇負荷に耐えられなくて私は成れ果てになりました。んなぁ。
単純な物語としては終ノ空remakeで一番面白かったです。


このルートが唯一丸々今回書かれた感じになるのかなと思います。
ついに音無彩名がどういった存在かも明確に語られます。
ナイアーラトテップめっちゃ怖いですね。
「あの時」と組長が昔話で語っていたことを彩名も語っているので、
同一の存在であるのは間違いなさそうです。
時間とか空間とか関係ない存在に同一という概念当てはまらない気もしますが……。


また、彩名自身が「今の私は這い寄る混沌などではない」と語り
「などでは」と言っている辺りナイアーラトテップよりも、
今の音無彩名としての存在の方が気に入っているような感じをなんとなく受けました。

「空想はいつまで経っても空想に過ぎない。
 だが、それを形にすることが出来たら、空想は現実にとって代わられる。
 彼らの様な存在に限った事ではない。
 人の歴史というものも、空想を現実にさせた意思の連続に他ならない。
  古き者どもは、自ら形を得ることはできない。
 必ず、何者かの観念を必要とする。
 それ以上でも、それ以下でもない……」
 
「だったらあなたの存在は? あなたがもし人でないものだとしたら……」

「私は音無彩名。ただそれだけ。
 私は空想せずとも、みなの前にあらわれる。
 だが、本来、それが実在ということではないのかしら?
 横山やす子は、誰が空想せずとも、実在しているのでしょう?」

メタいけど物語の登場人物として形にされているから、
みんなの前に現れる。そんなところもありそう。
どんな存在か語られはしてるけど、やっぱようわからんです。
それが音無彩名の魅力でもある。

あとはリルルちゃんもナイアーラトテップですが、
音無彩名に比べると出現率が低い(卓司しか基本見えてないのもある)ので、
誕生したばっかということもあり、音無彩名よりも不安定な感じなんですかね。

ただ、横山やす子が

「ヤバい……こいつが連れているヤツ。たぶん音無彩名より、たぶんヤバいやつだ……」

と語っているため、危険度としてはだいぶ高そうです。
実際、今回の事件起こしたのはリルルちゃんが卓司を覚醒させたというか、
卓司の脳を侵食したためですしね。

横山やす子の脳を侵食しようとした辺り、積極的に人に影響を与える気満々っぽいです。
音無彩名は観測者然として、振りかかる火の粉(田荘組長)を払うだけなので、
スタンスとして大きな違いはありそう。
それぞれの目的語られることもないので、何が理由でそんな違いが生まれているのかはわからないですが。


そして、兄の横山きよしとの会話。
方舟にいた男全員とセックス、そして若槻琴美とのセックスという壮絶な時が描かれた後のシーンですが、めっちゃくちゃいいシーンでした。
この視点の感想として書いた「終ノ空remakeは純愛」の理由がここに全てあります。

「違わないよ。愛ってそういうものなんだよ。
 愛は最高のエゴだ。最高の自分勝手な想いだからこそ愛には価値があるんだよ」 

ホントは色々書きたかったけど、この台詞だけ引用します。
よくある良いシーン過ぎて、何書けばいいかわかんねぇってやつです。
横山やす子視点はホントに色々詰め込まれてるので、
もしかしたら、別記事で単独で何か書いた方がいい気がしてます。
もし、この先の時間で書いてたら、チラ見くらいはしてもらえたら嬉しいな。
たぶん、頑張って書いた感じになると思うので。


そしてEDムービーがとてもエモかったです。
たぶん今までプレイしたえろげのEDムービーの中で一番好きです。
いやまぁ、ずるいっちゃずるいんですけど。
物語の中では無く、EDムービーの一部として描かれることで、
シナリオから外れた兄妹水入らずの別れの時間という感じがとてもよかったです。


■主体者:間宮卓司
ある種本番となるメインのルートです。
すば日々の方が電波というかなんというかが強烈だった気はします。
すば日々は鏡のシーンあったしね……。うさぎさん……。

ものすごいどうでもいいんですが、この視点で終ノ空remakeで一番笑った箇所があって、由香が好きな男とセックスする時に服を脱いで「ど、どうかなぁ」と言った直後に
「胸が小せぇ!」と叫ぶ男子生徒Aの声です。
おまえ、いきなり出てきて、そのテンションでその叫びするのやめろ。
笑うだろ。
声優さんこれホントいい仕事してると思う。
これだけは書きたかった

閑話休題

リルルちゃんのお父さんに三人の僕に会えと卓司は言われ、
そのうちの一人目である音無彩名と会話をします。
これ、結果的に卓司は音無彩名と和やかに議論をして終わるんですが、
すば日々ではありえない描写ですよね。

すば日々での卓司と音無彩名の対立って水と油というか、卓司が音無彩名は黒リルル(でしたっけ)であり、絶対相容れない存在としていたような気がします。
そのため対話とか不可能状態。
それが終ノ空remakeでは一部は音無彩名の意見を受け容れ、自分から音無彩名に自分の疑問を質問しているのです。
人間としては終ノ空の間宮卓司の方ができているのかもしれない。
自身が救世主であり、全ての真理を手に入れている。
それでもわからないことはあるということを音無彩名との対話で理解することができた間宮卓司は、ある種とても冷静であり、だからこそすば日々の卓司よりもある意味怖いかもしれない

続けて二人目横山やす子です。
横山やす子は飛び降りる前に間宮卓司にお前は人を愛することはできないと痛切に語り飛び降ります。

「完成された者は、人を愛することの理解もできない。
 終ノ空を越えて、さらに越えて、さらに超えて……あながたあらゆる世界に間宮卓司として生まれようが、
 あなたは決して、愛を知る事はない。
 いかなる世界でもあなたは愛を知らないで、ここから何度も飛び降りる。
 (中略)
 そして、これだけは言えますね。
 お前は何度ここに立っても、愛を知る事はないだろう!
 お前は終ぞ愛を知らず、ここに立ち続ける!
 間宮卓司に人を愛することなんてできないですよ!! 永遠に!!」

その時聞こえるのが、すば日々希実香の声でした。
すば日々の卓司はやっぱ完成されていなかったからこそ、希実香とああいう関係になれたのだろうと思います。
なんかそういった描写もあったきもする。救世主として未完成みたいなの。
忘れてます。
逆を言うと今回の卓司は救世主としては、やっぱり救世主として完成されているのかもしれない。

そして、最後水上行人。
マルチ視点なので、主人公とかそういうポジションわかりづらいけど、やっぱ主人公は水上行人なんですかね。
ゲームの良いとこは横山やす子が全部持って行った気はしますが。
卓司が行人の声を聞いて、とても懐かしいと思うほどには影は薄い。

とは言ってもこの作品のたぶん肝の部分になる会話はここだと思います。
卓司と行人の違い何かについて語られます。

「呪われた、生を。
 祝福された、生を。
 あるいは――
 呪いのように扱われている死を。
 その様な死を、祝福の様に受け止める」

ここまでは二人の考えは同じです。
ではなにが違うかというと

「生きようとするか、しないかの差だ」

とのことです。

この辺ちょうど今自分が人生疲れた期に入っていたのもあって、
すげー響きました。
やっぱえろげというか、物語が一番のパワー発揮するのって自身と物語のタイミングが
完全に噛み合ったときなんだと感じます。

過去『よく生きようとするからつらいんだ。よく生きようとするな』とツイッターのbioに書いてたことがあります。
結局その理由って、理想と現実のギャップの差が自分の生きることのつらさというところにあったんですが、(そして、それは働かないという理想なので叶うことはまぁほぼないんですが)それも結局行人の言う

「生への意志か……」

「ああ」

「その大半は薄汚れているよ」

「かもしれないな。

 だが、その意思が折れる事だってあるさ。

 君はそれらはすべて弱さだとでも言うのか?」

「いや、生への意志があるからこそ、人は折れる事もある」

「だから——自ら、死を選ぶこともある……」

「だが、それもやはり生への意志故のものだ。
 人はよりよき生を求める、だから絶望もする。
 その絶望を否定するべきではない。
 その絶望の果てに死を選んだ人間もまた否定するべきではない。
 それでも、俺は言うよ。
 生きることは考える事じゃないんだ。
 絶望そのもの、そして幸福そのもの、それらを生きる事の価値にするな。
 生きる事は、まさに生きる事だ。
 それ以上でもそれ以下でもない」

に行き着いてしまうんですよね。
いや、くだらねぇとかしょうもねぇとか青臭ぇとか厨二臭ぇとか、そういう意見出るのわかるし、なんなら元気なときなら間違いなくそんなこと考えてたんですが、
それでも、やっぱり、今の自分に刺さる言葉だったのは変わらなくて。

ロリに救済される喜びとか言って駄目な自分を救う作品を求めてしまうけど、
やっぱ自分にとって必要なのって、こういう当たり前のことをものすごくばかみたいにドストレートに言ってくれる作品なのかなと思いました。
これだけで2万円近くの元はある意味取れたような気分です。

■NuminoseⅠ
ED一つ目です。
音無彩名エンドになるでしょうか。
なんかこの作品で一番のいちゃラブを見せられているような気分です。
そして事件現場のC棟屋上でセックスです。
めちゃかわいいです。古き者どもに見守られながらのセックス。
この世界の整合性についても語られますが、
それはあくまで無限の中ではたまたま「そうであった」に過ぎないとされます。
作中で自身の同一性が語られ、それに対して明確な答えというか結論は出なかった気もしますが、それの答えがここで出ます。
たまたまです。昨日はたまたま卓司だったし、今日はたまたま行人。

「今」である事は、時間的な位置を持たず。
「ここ」である事は、空間的な位置を持たない。
俺はそんな比類無き一瞬において、俺であるのだ。
それは本当にたまたまの必然であり、当然の偶然なのである。
だから、このたまたまの世界が、どの様な秩序を持っていたとしても驚く事はない。
たぶん、これまでと、これからは、いつでも違う。
「これまで」の公理は、「これから」の公理であるとは限らない。
たぶん我々はそんな剥き出しの不条理のなかを生きているのだ

つまりは、こまけぇこと考えても仕方ないということになるんですかね。
何が起きても、それはたまたまというものに集約されてしまいますし。

 

■NuminoseⅡ
ホントにラストです。
すば日々でいう終ノ空Ⅱです。
この作品の振り返りかつまとめのようなものだと思います。
まとめられてもなーーんもわからんです。
ただ、生は祝福されているということだけ分かればいいのかな

音無彩名という存在がこの世界から消え、いつの間にか夏休みが終わるところで、
この物語は終わります。
音無彩名としてはこの世界で見るものに満足した感じなのでしょうか。
最後に琴美が「ずっと一緒だよ」と語りますが、ずっとっていつまでなんですかね……。
死ぬまでとかそういう枠ではなさそうです……。

内容ペラペラなのに引用パワーで7500字くらいまで来ました。
ここまで読んだ方お疲れ様でした。
感想書くたびに、なんか鋭いこと言えたりする頭が欲しくなります。

2万出せとは言えないので10thを買ってねとは言わないですが、すば日々もよい作品なので買ってね。
そして、これが2020年の最後の記事になると思います。
今年は特に総括するようなものがないので……。
早いですが皆さん良いお年を。
来年もよろしくね。
生きます。