Happiness arises, radiating in vibrant hues.

『幸せが生まれ、鮮やかな色合いで輝く』ことを希う場所

記録は記憶になり、そして思い出へ

今年最初に見たライブはそやさんの『Ichika Souya 4th Q「Re;cord」』となりました。
考えてみるとVtuberのソロライブで開催のたびに見ているのは、そやさんだけな気もします。普段配信をずっと追っているわけでなくても、お金を払ってでもライブを見たいと感じるのは、そやさんの持つ世界の解釈だったり、発せられる言葉が好きだからという点が大きいのですが、今回のライブも演出含め、とても良い世界でした。

大学時代の友人と3人で出かけたり、ゲームで遊ぶことがあるんですが、この2人がちゃんと当時のことを覚えているタイプで、当時を振り返って「あの時こんなこと話したよね」といった会話をあの頃の写真を見ながらすることがあります。でも、私はもうそんなことは忘れてしまっていて、なんならどこに出かけたか、そこで何をしたかも、うろ覚えなことが多いんです。それでも二人の話を聞いていると覚えていないながらも「楽しかった」という感覚だけは甦ったりします。きっとその甦りも2人に比べたらずっと少ないものだと思うけどね。

今回のそやさんのライブではそんな記録と記憶に関するものがテーマとなっていました。
ライブでは『別の道に進んでしまった、今は近くにいない人は自分の中からいなくなってしまうのか』という問いから、記録と記憶の違い、記憶はどのように記憶となるかについて、そやさんなりの解釈で読み解いていくものとなっており、その解釈が願いや祈りに満ちたものでとても良かったです。

このライブではそやさんともう一人、そやさんの声が採用されているソングボイスライブラリである一花も登場しています。記録と記憶という点において、この一花は記録そのものと言っていい存在かもしれません。

記録について、事実を残すという点がメインとなり、言ってしまえば役立つ場面、必要となった場面が来た時のみ、その記録の意味、姿がはっきりと現れ、それ以外の場面では目に触れることはないものとされています。そして、記録は全く関係のない人、関心のない人にとって価値がないものとされています。(この話をデータとしての存在にしかなれない一花にポエトリーさせているのが良い)

そして記憶について。
記録と記憶の差異において最も大きい/大事なものは、想いの有無という点であり、記録に想いが入ることで、それは記憶に変わり、心や頭が覚えているものとなる。たとえ記録、情報としての形がなくなったとしても、存在はその人の中に記憶として残り、同じ時間をこの先も過ごしていける。いなくならないし、なくならない。

たとえば、それはただ店頭にある商品ではなく、配信で話題に挙がった商品として、街中でただ流れている音楽ではなく、歌枠で聴いた音楽として、世界中に思い出という形に変わって残り続ける。この先、もし1人で寂しい時が来ても、こういった思い出があれば、きっと寂しくない。だから記録を記憶に変えて、思い出にしよう。そして、思い出が多すぎて溺れるくらいになって欲しい。

なんて素敵で愛おしさのある祈りでしょう。
ライブにおける価値がメインに発生する点として、どうしても歌やダンス、演出という点が大きくなると思いますが、この世界の捉え方を教えてもらえるだけでも、凄い価値があると私は感じました。

世界の解釈や認識の仕方が素敵な人を、個人的に『綺麗な目を持っている人』と評したりするんですが、この先もその綺麗な目で見た世界を教えて欲しいと思えた。そんなライブでした。

そんな素敵なライブは↓から。2026年2月15日までアーカイブ販売中


一花はこちら。銀髪が癖です。