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お天道様が見ているぞ

路上で裸の五千札を拾った経験ありますか? 私はさっきしました。
結論から言うと交番届けて権利も放棄したんですが、自分の行動原理考えてて面白かったので残しておきます。

5千円拾った直後によぎった選択肢としては『黙って貰う』『交番届ける』『落とし主出るかもしれないので、とりあえず数分待つ』でした。

結局現れず交番に行き、「まぁ別に自分の財布から5千円損したわけでもないし」とただ五千円札を届けた疲れた雰囲気纏ったおじさんで終わったんですが、ここで気になったのがなんで黙って貰わなかったのかという部分です。

当然ながら拾得物横領で罰せられるので、その選択すること自体ビッグNGなんですが、『誰も見ていない』、『そもそも現金を落とすと所有していた証明をしづらい』とあるので、ぶっちゃけ拾い勝ちな感じはあります。

前提として、そもそも私自身がお金にあまり関心がないという良くない性質を持っているというものはあれど、「お天道様が見ている」という信仰心めいたものに勝てなかったんですよね。普段全然そんな意識持ってないのに。

とはいえ、今回届けたのって五千円だったからというのはある気がしていて、500円だったらきっと届けないだろうし、千円でも届けるかどうかは更に悩んで横領してる可能性跳ねあがる気がしています。(その程度の倫理観しか持ってないです)

実際交番に届けたところで、持ち主はきっと困ったまま。お金はきっと公共のものにただの数字として吸収されるか、届けたのが〇〇〇県警なので、渡した警官のポケットマネーもあり得る。
そう考えると、きっと得したのって私の自己満足的な精神だけという気もします。ポケットマネーに入れてたら警官が一番ハッピーだけど。一連の行為によって遵法精神に則ったという気持ち良さも当然ない。

「届けるかぁ」と決めた時に考えたのは「届けた分の良いことなんかあればいいなぁ」という因果応報の精神であり、これも宗教の信仰めいた考えですね。自分の思考として動いていても、結局それは自分でも無自覚な信仰心から起きているかもしれないということに気付けた面白い経験でした。