なぜ潰れないのか不明だけど、ずっと残ってる店というのが誰しも地元にあると思うんですよね。それが私の場合ビデオ販売店だったんですけど、久しぶり(とは言っても2か月くらい)に地元帰ったらテナント募集状態になっていました。20年くらいずっと気にはなっていたのに入らずに終わってしまった……。お客さんが入るところも見た記憶が無くてホントにどんな店だったんだろ。永遠の謎になってしまった。
実家の方も作業場の外壁がきれいになっていたりしていて、なんか今回の実家帰りは色々変わっていくんだなぁというしんみり感がとても強かったです。
そのほか、祖父の認知症もだいぶ進んでる感じで、母が軽めの入院してるのわかってなかったり、母が韓国ドラマから中国ドラマを見るように変わっていたり、近所にあった空き家がオサレな家に建て替わってたり。
永遠に変わらないものはなく、全ては変わってしまう。それが今の私には痛いほど分かっていた。だが、だからこそ、それを求める心だけは変わってはいけないんだとわかった。手に入ることのないものを求めるのは、決して愚かなことじゃない。求めることと手に入れることは全く別のことなのだ。求めれば必ず得るものはある。でも期待してはいけない。ただそれを信じなければならない。それはとっても辛いことだと思う。片方の目で真実を見ながらもう片方の目で夢をみるようなものだ。でも私は、今ならそれが出来るような気がする。
ANGEL TYPEに登場する佐倉詩希は、長い間ずっと連れ添っていた黒猫を喪うことで、同じ時間はずっと続かないということを知ります。両親を失った彼女にとって、唯一の身内とも言える黒猫を喪ってしまったショックは大きく、BADエンドに入った場合彼女は記憶を失ってしまうほどです。
ほぼ全てものは時間が経過することで変わっていってしまいます。それは街並であったり、人間関係だったり、それこそ生死によってだったり。佐倉詩希の場合は、主人公である藤代尚のことが好きなんだと気づくことで、そもそも自分自身だって変わっているんだと気づくことができました。
横にいるのは黒猫ではなくなったけど、自身にとって居心地のいい、一緒にいて楽しい相手を求めた結果なのかもしれません。変化はすれど居心地のいい場所というものは変わらずどこかにあって、それを求めるのは愚かじゃない。何も返ってくることはないかもしれないけど。
実家の犬を愛でているときに、なんか今日はすごい愛おしさのようなものがあったんですよね。それって、たぶん犬だけは変わってなかったからなのかなと思ってこれを書きました。今後色々自身も家族も変わっていくことしかないだろうけど、そんな中でも犬だけは撫でられたらすぐごろーんとしたり、もう出ないのにマーキングのおしっこ何度もしていて欲しいな。と今までまったく思ったことが無かったことを考えてしまった実家帰りでした。
結論は一つ。『少しでも今の形が長続きしますように』