Happiness arises, radiating in vibrant hues.

『幸せが生まれ、鮮やかな色合いで輝く』ことを願う場所

誰のための作品?

いつも通りカフェインテンションで、なんか書きたい欲が先行しての記事です。

先月辺りから色々な映画の公開が始まりました。
スタァライトについては感想書きましたが、それ以外にも何本か観まして、
・ポンポさん(2回)
ゴジラ
スーパーノヴァ
の3本ここ最近で観ました。

で、ポンポさんとてもよかったんですが、2回目観たときに編集室にこもってひたすらPCと向き合い続けるジーンの背中を見て、ふと思い出したんですよね。
「これMUSICS!の馨っぽいな……」と。
せっかくなので色々思い返してみたら、映画と音楽という違いはあれど、割とジーンと馨が対極な感じだなぁと思った。という話をここから先書いていきます。
特にMUSICUS!の説明とか入れないです。

澄ルートの馨の姿、ありえたかもしれないジーンに見えるんですよね。
ただ、ジーンが馨のようになる可能性は映画を観ただけだと、ほぼないのかなと思うけど。
馨があのEDを迎えてしまった理由は、自分自身とも言える音楽を信じることができなくなってしまったことが根本にあるので。
ジーンがそうなることはなんとなくなさそうな気がします。理由は無いですが。

コルベット監督はジーンに対しての助言として「だれかのために作ればいい」と語ります。
澄ルートでの馨が誰のために音楽を作っているかというと、誰のためでもありません。自分の好みな曲が作れていることと、自分のために曲を作っているは似てるけど違っています。そして音楽/生活のために音楽を作り続けている。の中には人はいません。


環境として、馨は澄と恋人とも言える関係になったため、きっと書こうと思えば、いくらでも書けたとは思いますが、結局澄のための曲を書いたという話は出てきませんでした。
その理由が、馨の根底にある音楽を信じきることができなくなったためというものです。
花井さんと馨が抱いているものとして、音楽への絶望というものがあります。
曲を作ってもどんなふうに相手に伝わったかを確かめる術はなく、必死に作ったものが無視されて、気に入らないものが認められることもある。
そもそも音楽というものは、音楽は聴く状況や雰囲気によって観客が受ける印象というものは左右されてしまい、ミュージシャンでさえそうであるため、大多数を占めている一般の観客であればなおさら。

馨は澄について『どんな曲を書いても澄は「とてもいいです!」しか言わないので参考にならない』と語ります。
もっと言うならば、生活の大部分を音楽に捧げても、一緒に生活をし、自分を愛してくれている澄にすら何も伝わらないので、澄に音楽を聞かせるのは嫌だとまで語ります。

馨は澄という恋人を得たことで、より深い音楽への絶望に陥ってしまったのです。
自分のことを愛してくれている人にすら伝わらないのなら、誰に伝わるんだ?となってしまうのは、納得できるものだと思います。

もし、ジーンが自分の作ったものは誰にも伝わらないと思ってしまったとしても、周囲の人間、ポンポさんはもちろん他のメンバーがきっとジーンを救ってくれると思います。
しかし、澄ルートの馨は一人で音楽を続けていく道を進んでいます。
誰が声をかけても馨に声は届かず、悪い意味で先鋭化していき、結果よくできた自信がある曲も八木原さんに「良さが分からないから扱えない」とされてしまいます。

これがもし、澄のために、誰かのために作った曲ならば、よさがわからない曲にはならなかった気がしてならないんですよね。もちろん、こんなのは私の想いであり、誰かのための曲を書いたとしても、よさが分からない曲になってしまう可能性は十分にあるんですが。なんなら先に書いたように、八木原さんの状況が相応しくなかっただけという可能性もないことはない。

馨の澄ルートでの一番の誤りは一人で音楽を続けていく道を選んでしまったことだと思います。一人で続けていくにしても、関係を切り捨てるようなことをしてはいけなかった。

ジーンはポンポさんに見つけられたからこそ、傑作とも言える作品を生み出すことができ、追加シーンの撮影ということもできました。両方とも一人では決してできなかったことです。(そもそも映画という媒体上、一人で完結させることは不可能ではあるけど)

ジーンがポンポさんと出会うことなく、映画の世界で生きていくことを考えるとちょっと怖い。さすがに澄ルートの馨まではいかなくとも、あまりいい結末は迎えられそうもありません。

 
澄ルートでの馨は花井さんの自殺について推察を進めますが、結局音楽への絶望と自殺を繋げるピースを見つけることができませんでした。
そのピースは三日月ルートの終盤で幻想の花井さんから語られるように、音楽に込めたものは誰にも伝わらないかもしれない。でも、それでも何も問題はなくて、自分には他のなによりも音楽が必要という想いだけあれば十分。それを信じることができなかったため自殺に至ったというものです。

この点はたぶんジーンも馨にも共通していることだと思うので、何かあったとしても映画/音楽への絶望起因で自殺することはない気がします。
皮肉だけど、澄ルートの馨は音楽以外何も残っていないからね……。


記事終わったっぽいけど、この記事は誰のため?
……ノーコメントで。