Happiness arises, radiating in vibrant hues.

『幸せが生まれ、鮮やかな色合いで輝く』ことを願う場所

雑記

3月下旬辺りから仕事が忙しくないため、割と精神的に余裕のある生活を送っています。それまで基本残業2時間が平日毎日の基本であり、「え、この会社の定時ってこの時間じゃないの?」的な冗談が言えてしまうような状態でした。(響く周囲の乾いた笑い
今週久しぶりに2時間ほど残業した次の日の朝、めちゃくちゃ体が重かったので本当に残業体に悪いんだな……と痛感したりしました。よくもまぁそんな生活10か月くらい続けてたもんだ……。慣れって怖い……。

そんな感じで余裕ある生活してると気分も変わってくるもので、ピースフルな気分になることも最近は多いです。(但し仕事中は別である

よくある宝くじ当たったら的話あるじゃないですか。何にお金を使うかという話。
私の場合とりあえず労働からの卒業からの自由気まま生活資金って感じの用途なんですが、現在ピースフル精神発動中のため、募金や寄付等の慈善的なことにお金を使うという選択肢が割と普通に出てきて少しびっくりしました。で、そんなことを考えていたら思った取り留めのない話(ここまで前置き

人に善意の行動をするとき、どうしてもひっそりと行いたいという想いがあります。
電車で席を譲るなら目的の駅着いたんで降りますー。的な行動で席を譲りたい的なアレです。この時私が人に譲っているのは体力とかそういう形に残らないものなので、相手にしてみたら(あ、席空いた)で済ませられるものです。たぶん善意を受けたことすらわからない。

ただ、寄付とかそういうものってお金とか何かしらの形になってしまうものになるじゃないですか。そういったものについて、できれば匿名で寄付したいという想いがあるんですが、それって受け取る側にしてみたら困ることかもしれないと考えると善意ってむつかしいなと思いました。数年前話題になっていた伊達直人的なやつです。
善意を受けた側は善意を受けたことについて恩を返したいと思うかもしれないのに、その機会を匿名にすることで奪ってしまう。「よっしゃ!寄付来たわ!誰か知らんがサンキュ!」的思考をしてくれる人ならWIN-WINなんですが、そうでない場合、善意の押し売りになってしまう気がしてます。

人生における大切なことはえろげに教わっている人間なので、えろげの台詞を引用しますが、『七つのふしぎの終わるとき』でこのようなやりとりがあります。

「……智くん、おせっかいと親切の違いってなんだと思う?」
「手を貸そうとする人が傲慢かそうじゃないかの違いかな」
「似てるけど違う。相手を尊重してるかしてないか、だよ」
「善良だね」
「なにそれ?」
「氷子はそのままでいたほうがいいって話」

 
このやり取り凄い好きでBOTから流れてくるたびに、ついつい繰り返し読んでしまうんですが、それは今は置いときます。

相手がどう反応するか考えずに投げつける匿名の寄付、これ相手尊重してるかって言うと微妙ですよね……。お金だったら使い道を相手が決められるのでそうとも言えないのかもしれないけど。更に言うのであれば『相手を尊重するとは?』とかそういう話にもなってしまうけど、そこまでの頭はないので割愛します。

よくある善意の押し付けかどうかというやつの話ですね。相手のことを考えて善意の行動をしてるんだろうけど、傍から見るといいことをしてやったというオナニー依存症になっているようにしか見えないとかの。ボランティアとかそういった関係の話でよくある話なんだろうけど、相手から感謝されるのを目的にしてたら、なんかもう駄目なんだろうなぁという気がしてます。
そう考えると私が寄付するとしたら『〇〇ちゃんを救うお金を』とかではなく、地域への貢献とか社会貢献的なところなのかなぁと思いました。あしなが育英会とかそうなのかな?

以上、他者への善意ってむつかしいなぁという話でした。(お前が自分で難しくしてるのでは?