Happiness arises, radiating in vibrant hues.

『幸せが生まれ、鮮やかな色合いで輝く』ことを願う場所

吐瀉物めいたもの

定期的にメンタル微妙になるんですが、全人類割とそんなもんなんですかね。
自己分析というか、自分の内面をゴリゴリ掘って快感得るのはもういい加減卒業したいんですが、内面掘りジャンキーなのでその手は決して止まらないのであった。

ただ、度重なるメンタルブレイクにより強化されてる部分もあって、根本的に
「俺はアカン人間なんや……。生きる価値ないんや……」
にはならなくっています。

 

自殺と自虐…何が違うの? 自虐的な言葉が、偽りの笑顔が、自分に嘘をついた言葉たちがいつだって自分の心を殺すの。……だから「自分に価値がない」は…もう言っちゃだめ。

教祖様@おもちゃの教祖さまもこう言っている


自分が正常だとは思わないし『できる』人間でもないですが、幸か不幸か自分よりも異常と思える人間は沢山いるし、『できない』人間も沢山いるとわかってしまったので、変な自信というか驕りのようなものが生まれた結果、根本的なメンタルブレイクはしにくくなったようです。人を見下して得られる自己肯定感と書くと、とんでもないクソ思考ですが自覚的にやってる分マシなのか、だからこそ余計質悪いのか。

面倒見がいいとされる人間も、他人の面倒見る理由としては自分よりも下に見てるからというのは、ぶっちゃけあるんじゃないかという気はしてるので、全ては気の持ちようと相手からの反応次第という気もします。

悪意に敏感な人は面倒見られたときに、見下されているかどうか敏感に判断してそう。
ここまですべて「お前が思うならそうなんだろうな。お前の中ではな」の言葉が役に立つ話です。

本題に入って、じゃあなんでメンタル微妙になるのよというと、やっぱ「人間めんどくせぇな」の一点突破ですね。なんで人間てこんなめんどくさいんだ。

こういうメンタル微妙なときって思考もいい感じに飛躍しやすく、個人的に面白いのが出てきたりするんですが、今回は『自分と他人とのベストの関わり方/距離感』が
焦点になったみたいです。

自分にとって一番適切だと思える距離感って何なんだと考えたんですが、どうやら配信者とリスナーのような距離感らしいです。気になれば見に行くし、コメントも読む。
対面だとどうしてもなにかしらの反応をしないといけないと考えてしまうし、なんなら相手が求めてる反応は何かとか、そういうめんどくさい考えをしなくてはならない。

テキストコミュニケーションだから影響全く与えないとも言えないし、なんなら対面会話以上に影響与えることもあるんですが。それはそれとして。

今までテキストコミュニケーションが好きだと思ってたんですが、結局この配信者とリスナーの距離感という形式で一番多いのがテキストコミュニケーションになるというだけの話だったっぽいです。

ついったーもある意味F/F関係は配信者とリスナーみたいなものですよね。
片思いフォローだと明確ですが、相互関係でも結局はそこら辺変わらない気がします。
気が向いたときに見て気が向いたら反応する。

もっと端的に言うと、コミュニケーションは出来る限り投げっぱなしにしたいみたいなことなのかな。会話だと、こういう投げっぱなしみたいなのしづらい気がするけど、そも仕事外でまともな人間関係とかコミュニケーション築けた記憶もあまりないので、ここら辺はわかんない。

1200文字くらいゲロったらだいぶスッキリしました。