Happiness arises, radiating in vibrant hues.

『幸せが生まれ、鮮やかな色合いで輝く』ことを願う場所

私、ペシミストじゃなかったみたい

タイトルが全て。

『生まれてきたことが苦しいあなたに 最強のペシミストシオランの思想』を読みました。

うっすらとですが長年「自分はなんらかの主義に当てはめるならペシミストなんだ」
と思ってたんですが、この本読んだ感じ違ったみたいです。
シオラン自身の本を読んだら、また何か変わるのかもしれないけど。

多数引用されているシオラン自身の言葉には結構同意できるところが多かったんですが、著者の解説部分で「ちょっと違うな」となることが多かった感じです。

明確に違うと感じてる部分は、人生や世界への嫌悪を感じてる部分は同じですが、私の場合そこに徹しきれてないようです。

私の場合、メンタルブレイクしてる時以外は基本的に「マジで人生とかこの世界クソ。それでも自分にとっての幸福を見つけたい」とか大体そんな感じで「それでも~(~以降はその時々)」という感じで、どうにか自分の生とか世界を肯定しようとする動きがあります。

だからこそ相思相愛ロリータの感想読むとわかるように、ここまでの救いのようなものを感じられるんですよね。たぶん「それでも~」に辿りつかなかったら「うるせぇよ、世界はクソだろうが」で止まってしまい、好きどころかむしろ嫌いな作品になっていそうです。とは言っても、そう思えるのも、あくまでメンタルブレイクしてない時なので、

死んだほうがよいと思ったときいつでも死ねる力があるからこそ、私は生きている。
自殺という観念を持たなかったら、ずっと以前に私は自殺していたであろう

というシオランの言葉にはめちゃくちゃ同意するし、なんならこれをベースに生きてきた時間が長すぎて、ある年齢超えたときに、もう自分は自殺することないなと悟った際、割と本気で絶望してメンタルおかしくなったとかもありました。

過去記事でも書きましたが、私がメンタル崩すときの始まりって『終わりの見えない人生を、生きている限りは継続しなければならない』なんですよね。これに対するカウンターとして、自殺の持つ『自分の意志で人生を終わらせる』という点はとても効果的でした。

それが使えなくなったらどうするかというと、何かに救い求めるか、切り替えを早くしたりして、メンタルに負荷をかけないように自分でコントロールするしかない。

後者は自覚的にコントロールしたんじゃ遅いので、無意識レベルで切り替えないとね。その際に有効なのが「起きたものは仕方ない」というものでした。
今の人生、だいたいこれ一本で戦ってます。
なので、これ通用しなくなったらちょっと厳しい。

前者については、幸いなことに私はオタクであり、かつここ数年はオタクのバブ化により、ヒロインが主人公の駄目な点を肯定したり、主人公を救おうと頑張ってくれたりするので、だいぶ助けられました。
ロリータシリーズを制作してる夜のひつじ、というかライターのpororiさんには足向けて寝られないよね……。ホントにまこちゃんがいてよかった……。

結局のところ私は世界とか人生に対する憎悪とか嫌悪が足りないようです。
そもそも、この燃料を持ち続けつつも生きていくって、たぶん今私がやってる生き方と比較しようもないくらいしんどそうなので、きっとできないですね……。
ある意味ペシミスト卒業したという見方も、もしかしたらできるのかもしれないけど。

なんにせよ、シオラン自身の本の方を読んでみたくなったので、機会があれば読んでみたいです。