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ママに甘える。それがこの作品の唯一にして絶対のルール(母性カノジョ -子宮 帰還編-感想)

いい夫婦の日!妻!母!食べ放題フェスティバル!!
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ということでFANZAでえろげセールをやっていました

余談
えろげをDL購入する場合、年末年始とお盆辺りで半額セール等をだいたいどこのDLサイトでも実施するため、
そのタイミングでえろげ購入するといいと思います。
希望のやつがなかなか対象にならなくても待ってればそのうち来る。はず。(私は2年くらい待ったら来ました)
余談了

そして気づいたら母性カノジョ -子宮 帰還編-を買っていました。
http://www.akabeesoft2.com/bosei/

子宮帰還ってなんだよって思う方いると思うんですが、大丈夫です。ちゃんと子宮に還ってます。
ついったーやってる人だったら高確率で見たことがあるであろう。

「仕事、辞めませんか?」
「毎日ずっと、好きな時に寝て、ご飯食べて、私とセックスして……」

のキャプチャのあの作品です。

最近あまり見なくなった気がする『バブみ』系の作品てことになると思います。
ひたすら甘やかしてもらえる、精神がだめな時にプレイすると現実つらすぎて余計だめになる系の作品です。
どれくらい甘やかすことに本気かというと、主人公が甘えない系の選択をし続けると強制BADに突入して、赤ちゃんプレイが始まるくらい。何言ってるのかわからないと思いますけど、本当にそうなんだからしょうがない。

「この作品において対等な関係というものなんて存在しないんだ。黙ってヒロインである美織ママに甘えていろ」
そんなストロングスタイルを感じます。

ヒロインである美織ママが主人公である一也(かずくん)を甘やかすのには理由があって、
かずくんが我慢をしているのを見ているのはつらい。
ストレスに耐え続けているのを見ているのはつらい。
というものであることが語られます。

かずくんは幼いころに母親を事故で失っているため、誰にも甘えることができず生きてきた。自分の嫌なことでも自分でどうにかしなければならなかったため、愚痴を誰かに言うこともしない。
これを美織ママは「かずくんは抑圧されている」と表現しています。
人に頼ることが下手とも。
だから、人を頼ること。甘えることを覚えるまで私が甘やかしてあげる。
それが美織ママの『主人公(かずくん)の救い方』です。

その救い方が徹底的で、かずくんが仕事をやめたあと、ゲームをして一日を終えたことを謝罪し再就職のために動かなくていいのかと美織ママに尋ねたところ

「したい、じゃなくて義務感だったら、私は働いてほしくないでーす。つーまーりー。遊んでてほしいです」

と返すほどの強さ。
この作品プレイする人ってだいたい現実つらい人が多いと思うんですけど、つらいときにこんなこと言う作品プレイしたら現実のつらさ倍増しでしにたくならないですかね。大丈夫?

この作品において唯一の正しさは何かというと、先にも書きましたが『美織ママにひたすら主人公を甘えさせて、美織ママに救ってもらうこと』です。ただ、ここまで感想書いておいてこんなこと言うのもなんなんですが、この作品、あまり自分にはハマらなかった感じがあります。なんでなのかを考えると救う方向性が私が求めるものと違っていたようです。

私が望む救いがなんなのかというと、心の空白を埋めるような救いとでも言うんでしょうか。ヒロインと出会うことで問題が解決することは求めていなくて、ただ孤独や寂しさといったものにヒロインに寄り添って欲しい。そういったものみたいです。

ANGEL TYPEについて書いていて気づいたこととして、私が関心を持っているものは何かというと【孤独や寂しさといった心の動き、感情】というものらしいです。その点で言うと母性カノジョはだいぶ異なっています。作中には「我慢をしている。人に頼らない」は出てきても「寂しい」と言った言葉は出てきていない気もしますしね。
人に頼らないという孤独もありはするけれど、そういった描写はないため、かずくんはどちらかというと強過ぎるからだめになってしまった感じがします。その点がもしかしたら共感できないところだったため、ハマらなかったのかもしれない。あと、単に赤ちゃんプレイ属性を持っていないというか赤ちゃんプレイ苦手な点。

えちぃシーンはハメ撮りえっちが大変えろくてよろしかったです。
えちぃシーンが多いからと感想書くのをやめようとした私はえろげまとして正しいのか。
そんなことを考えさせられる作品でもありました。

おしまい。