Happiness arises, radiating in vibrant hues.

『幸せが生まれ、鮮やかな色合いで輝く』ことを願う場所

相思相愛ロリータの生活 感想

前作『相思相愛ロリータ』の感想はこちら
相思相愛ロリータで居場所を見つけた二人が、未来を見ていき、そして生きていく。
その過程が描かれているのが、今回アレコレ書く続編『相思相愛ロリータの生活』になります。

前作でおかくんとまこちゃんはかけがえのない居場所を見つけることが出来ました。
でも残念ながら、人は居場所を見つけるだけではまだ少し足りなくて、その上で生きていかなくてはいけません。
正直この作品をプレイする人の結構な割合が、この『生きていく』という行為というか、事実が苦手な人だと思います。だからこそ、まこちゃんに救われたいんですよね?
わかる。わかるよ……。

時間という方はとても平等らしいようなので、たとえ20h何かを頑張ってる人に対しても、たとえ20hごろ寝してネット見てダラダラ過ごしている人に対しても、未来というものを何が何でも手渡してきます。
別に頑張ってる人なら未来が来ても「お、来たか。さぁ今日も頑張るか」となると思いますが、ダラダラ過ごしてる人に未来が来ても「んぁ?」で終わり、今日も未来も過去も正直あんま変わらないです。(肉体は衰えていく)
ただ、きっとダラダラ過ごしてる人だって、ダラダラしたくてしてるわけではない人もいて。
肉体的な疲労ももちろんですが、精神的にエネルギーが枯渇していて、かつ底が抜けてしまっていて溜まっていかないという人もいると思います。

そんな人に対しての優しい処方箋のようなものが、この作品だと思います。
ただ、絶対的に乗り越えられない壁のようなものがあるのですが、それは最後に……。この壁の越え方は正直未だ持ってわからないです。

以下勝手に見出したキーワードを軸に書いていきます。
一つ目は「幸」です。前編で出てくるものになります。

このキーワードは今作の開始早々に幸運の竜さんという形で登場します。

「まこがいま一番信じてるのはね、幸運の竜さんかな」
「幸運の竜?」
この年頃の子向けの寓話や伝説にでも出てくるのだろうか。
「うん! すごいんだよ。だって、幸運の竜はね、へこたれないの。どうしてかわかる?」
「どうしてだろう。教えてくれるかな」
「ふふ……教えてあげましょう」

得意げに胸を張る仕草を見てまた笑ってしまいそうになる。
「それはね。自分の幸運を信じているからだよ。最後はきっとうまくいくって信じてるの。だからどんなときも、くじけずにいられるんだよ」
「それは……すごいね」
うまくいかないかもしれない、そんな不安があるから意義あることでも投げ出してしまいたくなる。
でもうまくいくと信じられるのなら。あるいは信じてくれる人が隣にいるのなら――。

 ちっちゃい子が一生懸命にしゃべってる感じがとてもかわいい。
そして、内容は単純であるからこそ、こちらに届いてきます。
最後はきっとうまくいくって信じてるから、どんなときもくじけないし、へこたれない。

悲しいけど、年を重ねていくと自身の経験というものを積んでいってしまうため、ある程度の事は「うまくいく/うまくいかない」の判断が事前に出来てしまうようになります。
社会で生きていくにはとても大事な能力ではあるんですが、これを一転自身の行動、未来に適用してしまうと……。そう。おそらく、よほど強い人でないと大体は上手くいかない可能性というものを目にしてしまうと思います。その結果、何かをする前からへこたれてしまう。
でも、自分の幸運を信じていればなんとなく生きていけそうな気もします。私も自身の幸運を信じて宝くじを毎回買っています。いや、ホントに。
宝くじが当たり、働かなくてよくなる希望に縋っている。

続いて2つ目のキーワードは「生」です。
後編のテーマがこれになるかと思います。

誰かのために生きるという当たり前のことを始めた。
それは本質的には孤独なことなのかもしれない。
ふつうに生きているひとたちがどうやってこの感覚を乗り越えているのかはよくわからなかった。
ただ、何にしろ今ここに僕と彼女が居る。いるんだから、悩んでいても迷っていても進むしかない。
ただ幸運を信じているがゆえに。
宝物を持ってしまったゆえに。

 後編はこの言葉から始まりますが、おかくんの決意から後編は始まっているようにも見えます。
まこちゃんの幸運の竜さんの話を受けて、くじけずにへこたれずに生きるために必要なものを知ったおかくんですが、この決意の中ではなんだか少し諦めのようなものが混じっているようにも感じられます。
それはたぶん、決意というものにどうしても含まれてしまう、何かをやるなら何かを切り捨てるというようなニュアンスのせいな気もしますが。

おかくんはここで出てきた宝物というものについて、こんな印象を持っています。

「宝物は宝物だけど、多分厄介なものでもあって……。風船みたいな感じかな。
それを大切に持っているせいで、割れちゃうかもしれないと不安になったり――
今……、もう今、この瞬間に手放さなきゃいけないような気がしたりしちゃうんだと思う」

そう。決していいものばかりというイメージではないんです。
たしかに宝物を大事にし過ぎるあまりに、他のことが何もできなくなってしまう。選択肢が狭まってしまうということがあります。
宝物を持ってしまったことで選択肢は狭まる。そして、誰かのために生きるということを始めたことにより、もう何かがあっても自分だけで済むという事も無くなってしまった。
その上で生きていくためにおかくんのできること。それが自身の幸運を信じることです。逆に言えば幸運を信じているからこそ進むしかないと思える。思うことが出来る。

もう死んでもいいと思うのは今までとは別の意味だった。
つらいことがあって――あるいは何もなくて、もう死んでしまいたいと思うのは、時間を止めてしまいたいからだろう。
これ以上つらいめに遭う前に、あるいはこれ以上何もない生を生きていくくらいなら、時間を止めてしまいたくなる。それを死にたいと表現してみたりする。
-中略-
生きていたいと強く思えるわけじゃないけれど、またここに来たいと思う。
「……死ねないなぁ……」
「うん」
生きていたいと強く思えるわけじゃないけれど、死ぬのは困る。
彼女のために――というのもひいては結局自分のためなのかもしれないが、とにかく簡単には死ねない。
やらなきゃいけないことがあるというと大げさなのかもしれない。
ただ僕がそこにいる。
だから完ぺきでなくとも僕がやってしまったほうが手っ取り早いことがいくつかあって、それならやったほうがいい

 先の決意の様な言葉でおかくんが諦めたのは、「死ぬ」という選択肢だったのかもしれません。自分ひとりで生きている時と誰かのために生きている時では、後者の方が「死ねない」という感情は持ちやすく、そして強い気もします。

オタクなので、「○○を観るまでは死ねねぇな……」とか思ったりすることが年に数回ありますが、これも結局は時間が経てば熱は失われてしまい、ぼんやりと「あー。死にて―」に覆われてしまいます。
自分のために生きる理由を見つけて、それを維持するのは結構しんどい。惰性で生きているようであれば、それはもうだらーっと続いていくだけなので、むしろ安心と言えるかもしれない。

まこちゃんはまだ幼いので、当然おかくんが守っていかなくてはなりません。
それはまこちゃんの境遇を考えると、尚更考えなくてはいけないことになるかもしれません。ただ、それ以上にふたりはお互いのぽっかり空いた場所に寄り添うことで関係が始まったことの方が理由としては大きそうです。
寄り添いあえる幸せを知った後に感じる孤独やさびしさというものは、以前感じていたさびしさとは比にならないほどキツいものになりそうなのは想像に難くありません。
人間なので、ずっと寄り添いあうことは難しく、いつか別れも来てしまいますが、それでも、今それをまこちゃんに与えてしまうのは、余りにも早過ぎる。
だからこその「死ぬのは困る」なのかなと思います。

そして3つ目のキーワード「未来」
これは作中に何度も出てきたセリフという事はないんですが、描写としてこれから先。言うなればこの作品である『相思相愛ロリータの生活』のさらにさらに先にある未来に繋がるような描写が多かったことによります。

たとえば、それはハニーマスタードを初めて食べて、大層お気に入るまこちゃんを見て、おかくんが今後のまこちゃんの料理センスをちょっと心配してみたり。
アイロンがけはおかくんがやると話したときの「まだだきないこと、いっぱい」という言葉だったり。

お月さまを見ながら歩いてる時にまこちゃんが言った

「それからね、好きな人とふたりでお月さまを見るとね、長生きできるんだって」

「初めて聞いたなぁ」

「えへへ……それはまこが今考えたの」

 というめちゃくちゃかわいい言葉だったり。
もっと現実的なおかくんの「転職しようかな」という言葉だったりと、物語が終わった後もずっと二人の生活が続いていくような場面がいくつも見られます。
もっともそれはわざわざ見つけようとせずとも、物語の中で指輪を渡すというラストシーンで明確に描かれています。

「僕が欲しいのは、今はまだないものだよ。きみと二人で暮らして、生活して、そのさきにあるもの。未来にあるもの。今はまだないけど――」
「もうあるもの……?」

 このラストシーン、BGMのよさもあり、とてもあったかいよいシーンですよね……。
ぶかぶかの指輪の隙間に未来を見出すセンスがとても好きです。
これからの二人の未来に幸あれ。
さびしさの中にいた二人が幸せになれたことを思うと、私も形は違えど幸せになれる気が少ししてきます。

以上でそれっぽいキーワードを軸にした感想のようなものは終わりとなりますが、
一個どうしても書いておきたい好きな言葉があるのでそれだけ最後に。

「もうさびしくないことが、さびしかった」

この言葉です。
この言葉見た時、なんだかすごい救われた気分になったんですよね。
さびしいという感情ってやっぱり一般的には良いものではないし、無い方が嬉しいものです。でも、さびしさがもたらす居心地の良さのようなものって絶対ある気がしていて。
相思相愛ロリータに限らず、これから先続いていくロリータシリーズにも繋がるところだと思うのですが、ロリータシリーズの良さって寂しさを決して悪いものと扱うことはせずに大事にしながら、でももうちょっとこうなったら嬉しいよね。というアドバイスのようなものが描かれていると思います。
このセリフには、このシリーズにおけるさびしさに対する想いのようなものが、たくさん詰まっていてとても好きです。

そういえば、冒頭に臭わせておきながら、まだ1点書いてないものがありますね。
そう絶対的な壁です。

それはですね。
まこちゃん、現実にはいないんですよね……。
ズコーってなるかもしれないですが、壁としてはとてもとてもとても絶対的なものです。
いや、いたとしても実際に作中のことが起きることはないんですが、それでもやっぱりこれは壁です。そもそも、まず人間関係の構築方面をどうにかしないことには……。
……現実はいつだって厳しいや。

Solitaire trap in the abyss of the existence of the human. we must get it over. 

 という言葉で終わる作品があり、この終わり方かっけぇなとオタクな私は思ってしまうので、まねっこした言葉でこの文章は終わらせようと思います。一度やってみたかったんです。こういう英文で終わらせるの。

Mako-chan is not existance in the realworld. We must get it over.