Happiness arises, radiating in vibrant hues.

『幸せが生まれ、鮮やかな色合いで輝く』ことを願う場所

バースデー雑記開戦——

・開戦
・大物Vtuber引退

どっちも触れづら過ぎて笑いが止まらない。
「今月記事書くことないなぁ。映画は観てるので、今月は感想書いて終わりにしようかなぁ」とか書いてたんですが、だからと言って、こんなに誕生日に色々詰め込まなくてもよくない? 自分の周囲で何か起きたわけではなく、世界というとても壮大な規模での出来事ですが、忘れられない誕生日になりそうです。

ということで、本日誕生日です。
今まで誕生日に記事を書くということしてなかったんですが、今年はなんか書かないとなという気分になりました。こういう周囲の流れに乗って自分の行動決めてるところ、ホントにインターネットのコンテンツだなと我ながら思います。基本的にコンテンツムーブは楽しくてやっているんですが、周囲から見たら不快に思う人もいるだろうなとは思いつつ、不快だったら離れてくやろ精神でいます。

さすがに開戦について触れられるほど社会のことも知ってなければ、興味もなく、頭も良くなくという感じなので、いつも通りVtuberの方に話題として触れておくと、誕生日に推し引退とかあったら、ホントに地獄だなという気分になりました。毎日誰かの誕生日ではあるので、つまりは自分以外の誰かに当たれと祈ることになるんですが、許して欲しいし許されるべきものだと思う。

引退の話題に伴って、「ガワそのままでアニメの声優みたいに中の人変えるんじゃだめなの?」とか「当初は中の人でトラブっても中の人変えればいいという話だったのに、なんでこうなったんだ」みたいなのがちらほら流れてきました。

そこはたぶん、アニメのように定型文を喋るならともかく、基本フリートークで進むとなると、どんなに似た声、似た喋り方の人を後釜にしても、さすがに思考パターンや、ふとした時のリアクションのようなものまではトレースできないため。というのが大きい気がします。なりすましされてるような気分になりそうです。
時間が経てば一部の人は慣れると思いますが、一部の人は興味がなくなって離れ、一部の人は熱心なアンチになるという幸せとはちょっと言えない状況になる気がします。

結局中の人が変わってもコンテンツの終わりというものはいつか来るため、それなら潔く終わってくれた方が個人的には綺麗で好みです。私の場合、転生とかされても、声だけだと気づけない気がするので、中の人が元々割れてるとかじゃなければ、どこかでそういう情報を目にしない限りは綺麗な思い出のまま終われそうです。
と言いますか、実際熱心に見てたわけでは無いけど、引退した人が転生してTLでしょっちゅう見かける名前になっていたのにも関わらず、まったく気づかなかったですしね。思ったよりもガワとか話し方の持つアイデンティティみたいなものって強いみたいです。

あと転生後の人を推すときにどういうテンション感で推していけばいいのか、未経験な今はちょっとわからないです。あの時死んだアイツが実は生きてて成長して帰ってきた! みたいな感じならいいんですが、完全な別人として帰ってきた場合、どう受け止めればいいんでしょう。恐らく転生後はまた違うキャラクター、ロールを演じると思うんですが、新鮮な気持ちでは見られるだろうけど、新鮮ということはどこか似てるところがある、やっぱり別人の誰かということにもなると思うので、最初のうちは見ていてもいずれ違和感に耐えられなくなって、見なくなってしまうような気もします。

とは言っても、先のガワの話にある通り、今のVtuber界隈で推しごとしてる人ってビジュアル3割、中の人のアイデンティティ部分7割くらいで見ている気がするので、転生後も見続けるという人はやっぱ多いのかな。ビジュアルが一番重要なのって、導入(初見)の部分だけであって、その後は中の人のアイデンティティを気に入るかどうかだと思います。ノリだけで書いているため。特に結論とか終わりとか準備していないので、これにて終了。特に書いていて、新しい考え出てきたりとかはなかったです。とても雑記らしいぺらぺらな仕上がりです。

今年は昨日マキシマム(スパイス)買うの忘れたため、代わりに買った『ほりにしのスパイスセット』が、意図せず自分への誕生日プレゼントになりました。とりあえず明日ハンバーグ作ってみます。3種類入っていて、プレミアムというやつには白トリュフソルトが入っているみたいです。食べるの楽しみです。